メールマガジン「洛中いぬ道楽」のページ vol.1
      ( 好 評 配 信 中 )



●第1話:いぬ道楽事始め

「もうそろそろ、ええやろ」
色っぽい目つきでダンナがこっちを見る。 もちろん私に、ではない。 これから起こる、起こしたい用事についてのおねだりである。
中京区の下町、突風が吹けば倒れそうな安普請に引っ越して2週間目のこと。 まだ段ボール箱が転がっている状態なのに、とにかく2日続きでとれた休みの1日目に行こう!と、意欲マンマン。 ダンナは子供のころから、自分で犬を飼うのが夢だったのだ。
「はいはい」と、もうひとつ乗り気でない私はおつき合いの気分で車に乗る。ダンナはいそいそ車を走らせる。 こんな陽気なダンナ、久しぶりやなぁ。いつもは休みもろくに取れないハードなサラリーマン生活でくたくたやのに。 目指す場所は、京都市南区の動物相談所。 「絶対、僕が責任持って飼うから」という約束で、 動物と暮らしたことのない私はおっかなびっくりOKしたんやけど、正直言って不安。 どんな犬いるんやろ・・・。
地図を見ながらダンナに道を示す。「たぶんこのへんと思うわ」
工場や倉庫が並ぶ大通りから脇道に曲がり、しばらくすると児童公園にさしかかった。 あたりを見回すと・・・あった。『京都市動物相談所』。それはなんと、ハムメーカーの倉庫の真隣だった。
「・・・。よりによってハム屋の隣や」
「産地直送のフレッシュミート! こないだ見たビデオで、人肉を肉まんにするのんがあったやんか」
「そんなアホな・・・でも、お互いに迷惑やろなぁ・・・」
心なしか、ハム屋さんの社員はつらそうに仕事をしている。 お約束のボケ・ツッコをしながらスレートの殺風景な建物に入ると、やけにがらんとして静かだ。 鳴き声もほとんど聞こえてこない。はじめに窓口に行くと、無愛想な受付のおじさん。 やだなぁと思っていると、今度は気さくそうな若い男の人が来て案内をしてくれた。
犬舎はコンクリートのガレージのような建物。コンクリの床が変に清潔に洗われているのが印象的だった。 譲渡する子犬のケージは、入口を入ってすぐのところに2段にして並んでいた。 その数12個ほど。いずれも生後2〜4カ月くらい? 犬経験が乏しい私には『子犬』ということしかわからなかった。
●第2話:白い犬にとろけるダンナ

「レトリバーとかシェルティーとか、頭のいい犬がええ・・・」
ダンナにはそういう望みがあった。もっと好きなのはアフガンハウンド。どっ ちにしても犬に詳しくない私には、我が家のようなビンボー人には似つかわし くない犬たちやと思っていた。というより、私は「飼うなら雑種」と決めてい た。何が混じっているかわからへん、どんなに成長するかわからへん楽しみ。 どの犬も世界に1頭しかいない、希少犬種。そういうワクワクを備えた犬(当 時はまだ、全然詳しくなかったんやけどね)。けれどなによりも、お金で買わ れてちやほやされる犬とぞんざいに扱われる犬、同じ犬やのにそんなふうに差 別されることがとてもいややった。だから犬を飼うなら、保護施設で雑種犬を もらってくる! と決めていたのだ。
こーゆー時、年上のヨメは強い。ダンナもとにかく「犬が飼いたい」から、し ぶしぶながらも逆らうことはなかった。ははは。

「さあ、子犬はこっちです」
そんな意気ごみで来た施設。係のお兄さんが指さしたケージに並んでいる犬た ちは、「もらって、もらって!」と訴えるように盛んに鳴いている。
「なぁ、どの子にしよ」と、ダンナ。
「うーん、あんたに任すわ。あんたが飼いたいんやし」と、私。
「任されてもなぁ・・・」
そう言いながら、順にケージをのぞき込んでいくダンナ。
「あっ!」
積み上げられたケージの右端、1番上の枠に3頭の白い子犬が入っていた。紀 州犬っぽいが、和犬にしては少々顔が長く、耳だけ薄茶色で先が三角に折れた 犬がいた。すみっこに固まってブルブルふるえながらも、そのうちの1頭が、 残りの2頭をかばうようにふんばっている。見比べると、そいつの身体が一番 大きくて足も太い。
ダンナはこの犬に見入っている。それに気づいた係のお兄さんは、
「抱いてみますか?」
とケージに手を入れ、無造作に手前の1頭をつかみ出してダンナに抱かせた。 首筋をつかまれてピイピイ鳴きながら暴れていたその犬は、腕のなかにすっぽ りおさまって鳴くのをやめ、おとなしくふるえてる。ダンナが指先を口元に近 づけると、お母さんの乳首のようにちゅうちゅう吸い、やっと落ち着きを取り 戻したのかふるえも止まった。
「足も太いし、大きぃなるでぇ」
ダンナはもう、とろけそうな顔をしている。
昔の拷問で『石抱きの刑』と言うのがある。重たい石を抱かせて吐かせるやつ。 今のダンナはさしずめ『犬抱きの刑』。ふわふわで温かい生き物を抱かされ、 あっさりころんでしまったようだ。
「ええーそれでええのん? こっちの黒い犬もかわいいのに」
「ああー奥さん、その犬は病気持ってるから、いまはあきませんにゃ」
とお兄さん。
「この子がええ。きっとレトリーバー入ってるで、こんな耳も大きいし」
ダンナは子犬の体温を感じて母性本能?がくすぐられたのか、すっかりその気 になっている。お兄さんの口元が少しほころんで見えた。そんなええ犬入って るかいな、といった気持ちの現われか、それとも1頭でも子犬の命が救われた 安堵感なのか・・・。
●第3話:水もしたたるいい子犬
名無しのごんべ
「あ、この犬、ノミいてる〜」
抱いていたダンナがそうつぶやいた。お兄さんはそれで返品になったらかなわ んとでも思ったのか、あわてて
「引き渡しの前にノミ取りしておきましょう」
そう言うと、かたわらに置いてあったバケツに水を満たし、薬を溶かした。そ してまた無造作に子犬の首筋をつかんで取り上げ、耳を押さえて「ザブン!」 とバケツに子犬を押し込んだ。「プギィ〜ピギィ〜」と悲鳴を上げながら、も がいてバケツから出ようとする子犬の頭を押さえ、ザブザブと何度もバケツに 押し込んだんだ。もうすっかり飼い主気分になっていたのか、ダンナの顔はひ きつっていた。
季節は冬。京都の冬は底冷えがする。コンクリートの床から、はい上がってく るような寒さはチクチクするほど。ずぶぬれの子犬は、またブルブルふるえ出 した。毛皮はぺちゃんとなり、見るも哀れな姿! けど、薬が効くまでしばら く拭いたらあかんというので、そのまま持ってきたタオルにくるんで、引っ越 し荷物をひっくり返して持ってきた段ボール箱に入れた。そのまま事務所で書 類に必要事項を記入して捺印。手続きを済ませて注意事項の説明を聞き、よう やくその白い子犬は私たちのものになった。
当時は2人乗りのロードスターに乗っていたため、助手席の私が段ボール箱を かかえた。犬はたった1頭で兄弟と離された不安からか、それとも車が珍しい のか、しっぽりぬれたまま箱から身を乗り出してきょろきょろしている。車が 動き出して10分、京都駅を通り過ぎるころにはすっかり動きが活発になり、ダ ッシュボードやハンドルにまで進出するので車内は大騒ぎ。
「こら、ちゃんと押さえとかんかい!」
「もう、押えてもこの犬、また乗り出してくるんやんかぁ!」
「わぁっ、こら、ハンドルにしがみつくな!」
「ぐえぇ、ぬれた体でくっつかんといてぇ」
「せめてヒーター強うして、風邪ひかんようにしたろ」
「あんまりヒーターにくっついたら熱いでぇ。それにしてもくたびれるわぁこ の犬。おとなししとき言うても全然きかへん」
むせ返るような車で、箱から出よう出ようともがく犬をなだめつつ約20分。私 たちは、ようやっと家に帰り着いた。
「今日からここがお前の家やでぇ」
玄関の床に段ボール箱を降ろし、生乾きの子犬を抱き上げ廊下に置いてやる。 新築ホヤホヤの我が家は、木と壁紙のホルマリンの匂いに包まれている。トコ トコと廊下を歩き、子犬は階段下の踊り場で床の匂いを確かめていた。
「珍しい匂いがすんのかなぁ・・・・ああっ!こらっ!だめぇっ!!!!」 子犬の足もとに、水たまりができた。見る見る大きく広がっていく。新築の香 りが一瞬にしておしっこの匂いに変わる瞬間だった。はぁ〜。
「かあちゃん、はよ雑巾持ってきて!」
このときからダンナは私のことを『かあちゃん』と呼ぶようになった。
「ほら! とうちゃん!! 1枚で足りる?」
ダンナは『とうちゃん』と呼ばれるようになった。
●第4話:はじめての宝物

びたびたのおしっこを拭き終ってほっと一息。2階のダイニングに子犬を連 れて上がった時に、ダンナが聞いてきた。
「なあ、あの、ドラクエに出てきた変な呪文、なんやったっけ?」
「へぇ? 『パルプンテ』かぁ?」
ドラクエとは当時私たちがはまっていたゲーム『ドラゴンクエスト』。『パ ルプンテ』とは、何が起こるかわからない危険な呪文の名前だった。
「こいつなぁどんな犬になるかわからへんし、何するかわからんし『パルプン テ』にせえへんか?」
「あ、ええやん。それ。そうしよ」
いとも簡単に名前は決まった。(ただし、あとになって「ぽや〜」とした雰 囲気からひらがなにしたのだ)この日から、パルプンテは我が家の一員になっ た。1994年2月10日のことである。

子犬のしぐさを見ていると、あきない。ただたんにぼーっとしてるだけでも 歩いてるだけでも、座ってるだけでも、寝っ転がるだけでもかわいい。子犬な らどんなのでもかわいいが、生まれて初めて自分で飼う犬のかいらしさは格別 なんだろう。まだどこかよそよそしい私に比べ、ダンナは抱きしめて頬ずりし たり、用もないのに名前を呼んでみたり、カメラを出して写真を撮ったり。あ らかじめ読んでいた飼育本には、引き取った当日は静かにしておくように書か れていたが、長年の念願やった愛犬を目の前に、ダンナは歯止めが利かない。 巣箱の準備もほったらかし、子犬のしぐさに見入っていた。
「ちょっとぉ、手伝ってぇな!」
「もうちょっとだけ、パルプンテと遊んでからね」
「ええ歳して、ほんま子供みたいに」
あきれるほどダンナはパルプンテに夢中やった。子犬特有のふわふわして柔 らかい毛。体格の割に太くて長い足。足の裏の桃色した軟らかな肉球。耳と足 と尻尾と背中に、淡いベージュのグラデーション。床にぺちゃっと伏せると、 口の端がたるんとくっつくところも愛敬がある。そんなすべてのパーツにシャ ブがまぶしてあるかのように、子犬はダンナをとりこにした。
冷たいフローリングの床に寝ころび、お腹の上にパルプンテをのっけるダン ナ。最初はじたばた動き回ろうとしていたのが、そのうち丸くなってそのまま 眠ってしまう。起こさないようにそっと背中をなでながら、
「あかん、こいつメチャメチャかわいいわぁ! 見てみぃこの寝顔、どんな夢 見てるんやろう」
「あんたまでそんなとこ寝ころんだら、じゃまなってしゃあない! ほれ、パ ルプンテのスペース作ったし、そこん入れて。もう、ちょっとは手伝うて!」 工事であまったシートが置きっぱなしになっていたのをパチッて床に敷き、 タタミ1畳ほどある大きな段ボールのフタを置いて中に新聞紙を敷き詰める。 その隅に子犬がすっぽり入る段ボール箱を置き、古毛布(これも引っ越し屋さ んの忘れ物)をカットして入れる。ダンナは犬を抱いたままとろけてるので、 黙々とこしらえをする。ようやくダンナは、パルプンテを起こさないようそっ と箱に寝かせ、毛布を掛けてやった。
「本にも書いてあったやないの、今日は静かにさせといて家の環境に慣れさせ たらんと・・・判ったか?」
「・・・・・・」
「言うこと聞かへんと、今晩パルプンテと一緒に寝させるよ!」
「ふえぇ〜い(ふてくされた返事)」
●第5話:眠れない夜

まだカーテンが届いてなかったんで、家の窓はガラスだけで周囲から丸見えや った。それは特に気にならんかったけど、日が落ちるとガラスが鏡のように室 内を映し出す。目が覚めたぱるぷんては、かあちゃんお手製の仮設犬小屋から 脱出し、ガラスに映る自分の姿を見つめてクンクン鳴きだした。
「これまでずっと兄弟と一緒やったし、はじめて一人になって寂しんやろ。大 丈夫、これからはとうちゃんがずうっと一緒やから安心してねんねしとき」
ダンナはいまだかつて私が聞いたことのない、やさしい言葉をかけている。
「とうちゃんほら・・・きっと兄弟がガラスの向こうにいると思てんのやわ。 不憫やなぁ・・・」
クンクン鼻を鳴らしながら、前足でしきりにガラスに映る自分の姿をかいてい る。ためしに窓を開けてやると、後ろに回りこんでキョロキョロあたりを見回 し、いもしない兄弟の姿を探している。ベランダを探し回り、立ち止まって小 首をかしげる。
「ぱるぷんて、誰もいてないやろ。寒いから閉めるよ・・・」
ダンナは子犬を片手ですくい上げ、小屋に降ろしてやる。けど、またしばらく すると、小屋を脱出してガラスに映る自分の姿を見つめて鳴いていた。
その日は早めにご飯を済ませ、ぱるぷんてに「お休み」を言って3階の寝室へ (我が家はむちゃ小さいから1階に1部屋ずつしかないのだ)。早めに寝床に 入ったのに、1時間ほどすると「きゅ〜ん、きゅ〜ん」と寂しそうな声が2階 から響いてくる。今は真冬。寝床からはい出すのはごっつぅつらい。そこで私 は足だけ出して、いびきをかいてるダンナをつつき、
「とうちゃん、ぱるぷんて鳴いてんで」
ダンナは責任を持つと言った手前、素直に眠い目をこすりながら階段を下りて いく。しばらくして鳴き声がやみ、また上がってきてふとんに潜りこんだ。
「寂しいか・・・大丈夫、心配せんと、ええ子やからかしこう寝とき」
そう言って抱き上げ、なでてやると、安心したのか目を閉じて眠り始める。そ っと段ボールの毛布に包み、足音を忍ばせて寝室に戻ってきたようだ。

これが一晩に8回、ほぼ1時間おきにあった。
明くる朝、寝不足気味で2階に下りると、TVの前にうんこが落ちていた。
「あーあ」
「とうちゃん雑巾ちょうだい、しっこもこっちでしてるわ」
お風呂の入口に置いてある洗濯機の前に、大きな水たまりができていた。
「昨日もここらへんでせえへんかった?」 小屋の大きな段ボールの中にトイレシートを敷いてあり、おしっこの臭いをし みこませたティッシュを置いてあるのに・・・。自分が納得する場所でないと 用を足さへんのやろか。
「とうちゃん、しょうないし、ここトイレにしてやろか?」
床の後始末を済ませ、洗濯機の前にビニールシートを広げた。
「ちょっとぐらいOBしてもええよう、大きめに敷いとこ」 半畳ほどのシートの上に新聞紙を敷き、さらにトイレシートを敷き、うんこと おしっこのついたティッシュを置いてみた。
「ぱるぷんて、おまえが決めたんやから、トイレはここでしいや」
●第6話:お風呂上りはしっこの臭い

ぱるぷんてが来てから、2日目の午後。
「見て、見て、とうちゃん!」
ぱるぷんてが自発的に洗濯機の前に歩いてゆくのを見て、思わずダンナを呼ん だ。とことこシートのほうへと歩む子犬に、夫婦そろってついていく。やがて 子犬はトイレシートと新聞紙の境目に腰を下ろし、「だじだじ〜」とおしっこ を始めた。
「よしよし!とうちゃんもいっぱいほめたって!」
それからは多少のズレはあるものの、ぱるぷんてはこの場所でトイレを済ます ことができるようになった。
「かあちゃん、1日でトイレ覚えるくらいやからこいつ賢いで!」
ああ、また親ばか始まった。そう思ったけど、今度は私もちょっと感心した。
たった1日でトイレを覚えてくれたのはよかったが、お風呂に入るたびにぱる ぷんてのトイレを飛び越す羽目になった。入る時はいいが、濡れた足でよっと 飛び越すのは一苦労。おまけにどんなにシートをしていても、もれたおしっこ がだんだん床に染みつき、さわやかなはずのお風呂上がりにいきなり臭い思い をせんとあかんようになってしまった。

その日の午後、「子犬到来!」のニュースを聞いて、さっそく犬好きの友だち えりちゃんが遊びに来た。彼女はヨークシャーテリアを飼っているし、子供の ころから犬のいる生活に慣れていた。
「時計の音がお母さんの心臓の音みたいに聞こえて、安心するらしいよ」
えりちゃんは、親切にも小型の目覚まし時計持参で教えてくれた。さっそくそ の時計をタオルで巻いて段ボール小屋の毛布の下に入れてやった。一晩に8回 も起こされたのではたまらないと、ダンナは藁にもすがる思いで見ている。
ぱるぷんては音が気になるのか、キツネのようにヒョイヒョイ飛び跳ね前足で 毛布を押さえ、次に猛烈な勢いで地面を掘り起こすように毛布をかき出した。
タオルに巻かれた時計を捜し当てるとかじりつき、脳みそがかたよるくらいプ ルプルと左右に振り回した。
「おお、こんなちび助でも、狩猟本能があるんやな」
「なんべん直しても、あかんなぁ」
時計を元にもどそうと手を差し出すと、その指にじゃれてかみつく。甘えてい るのは判ってるけど、子犬の乳歯はとがっていてけっこう痛い。
「そんなきつうかんだら痛いやろ」
とうちゃんがちょっと強い口調でたしなめると、ひっくり返ってピンク色のお 腹を見せる。そんな姿を見せられると、とうちゃんは本気で怒っているわけな いし、ついつい抱き上げて頬ずりなどしている。
抱き上げ顔を近づけるダンナを、小さなピンク色した舌がペロペロなめ回す。
ダンナは「昔、犬好きのおじさんが、飼い主の匂いをしっかり覚えさせるため にはツバ飲ませんのがええて言うてた」と、唇をすぼめて先からちょびっとず つツバを出している。ぱるぷんては一瞬、不思議そうな(迷惑そうな?)顔を したものの、すぐに今までより熱心にダンナの口をなめ上げた。口元をゆるめ ると小さな舌を差し込み、口の内側まで丹念になめている。
「とうちゃん、こら歯磨きいらんなぁ」
と、苦笑い。それ以来、家に来る犬好きのお客さんは、子犬のディープキスの 洗礼を受けることになった。

その夜は、起こされる回数がめでたく3回に減った。
●第7話:緊張と緩和の一日

その翌日、ぱるぷんてが来てから3日目。ダンナは後ろ髪を引かれながら勤め に出ていった。家には1人と1頭だけになった。
これから緊張の一日、である。
「子犬やからかわいいにゃけど、なんとなくぽ〜っとした顔やなぁ」
昨日えりちゃんにもそう言われたんやけど、私はまだこの時点では心底この子 犬を「かわい〜い!」とは思ってなかった。目の焦点が定まらず、四角ばった 長い顔。今、当時の写真を見てもそう思うけど『どことなくビンボー臭い犬』 と思ってた。「この当時、ラブラドールが入ってると見抜いたとうちゃんの眼 力はすごいやろ!」と、今はダンナに自慢されるけど。
けど、とにかく12時間ほどこいつと過ごさなあかん。目を離すのも不安やか ら、とりあえず段ボール小屋ごとぱるぷんてを、1階の仕事部屋に連れていっ た。部屋の隅に小屋を置いて子犬に背を向け、仕事を始めるが、どうも身が入 らん。ついつい振り向いてしまう。
ぱるぷんてもどこかよそよそしい私と2人きりがいやなのか、なんか落ち着き ない。しょっちゅう起き上がって部屋の中をうろうろ。そのたびにトイレかと 2階へ連れて上がり、シートの上で「しっこ大丈夫か?」と、お尻をとんとん たたいてやる。もう、あっという間にお昼になってしもた。これではいかん。 私は、寒いこともあったし、ぱるぷんてを膝の上に乗せてやった。机と間が空 いてキーボードが打ちにくい。けど、ぱるぷんてはそれで安心したのか、くる りと丸くなって眠りはじめた。
子犬の体温が、膝を通じて伝わってくる。眠ってる顔はやすらかで、間延びも していない。ときおり目を覚まし、珍しそうにカタカタ音を立てるキーを見つ めるしぐさも愛らしい。丸まっちくてふわふわした生き物に、至近距離で見つ められれば、つい「おーよしよし」となでたり頬ずりしてしまう。
そんなわけで結局、仕事ははかどらなかったけど、半日経つころには私もすっ かり犬にころんでしまった。
やはり恐るべし、『犬抱きの刑』である。

夜、ダンナはダッシュで帰ってきた。勢いよく階段を駆け上がり、「ただいま 〜ぱるぷんて〜」と声をかけて抱き上げる。そしてカバンから、デパートの袋 を取り出した。おみやげや!とうきうきする私が見たものは、キュートな模様 の青い首輪だった。
首輪 けっ私にじゃないのかヨ、と思ったので「今日なぁ、ぱるぷんて膝に乗せて仕 事してたんやでぇ。えーやろ」とうらやましがらせてやった。
そして晩ご飯。ぱるぷんてには、大宮五条のペットショップで買ったステンレ スのお茶碗に、そこの店員さんにすすめてもらった餌をお湯でふやかして入れ てやっていた。このペットショップは京都でも老舗で、愛犬サークルなんかの 取りまとめもしているようだ。そんなわけでダンナがここに行き、「これを1 日4回程度ふやかしてやるといい」とすすめてもらったオリジナルパッケージ のドライフードである。
ぱるぷんてはさすがビンボー臭い犬らしく(!)、餌への食いつきはすこぶる 良かった。もくもくと食べ、お茶碗をきれいになめてまだ欲しそうな顔つきで ある。ダンナも私もできるだけ大きい犬になってほしかったので、こりゃあ楽 しみと目を細めて見ていた。この夜は1回だけ起こされたが、翌日からはくん とも鳴かず、安眠できるようになった。
しかし・・・。
数日するとご飯を食べなくなった。そして、見事なびちびちうんこをたれた。
●第8話:恐怖の医者

ぱるぷんては、餌が入ったお茶碗をくんくんかぐだけで口をつけない。なんだ かしぐさも弱々しく、毛艶も悪くなった。まだ、うちに来てから1週間も経っ てへん、おまけに昨日は雪の上で大はじゃぎして遊び回っていた子犬が、今日 はぐったりしてる。あまりの変化に、私はおろおろするばかりやった。
ダンナは近くの三条商店街で見つけたペットショップで、すすめられた缶詰を 買うてきた。レバーが煮てあるやつ。それをお茶碗に少しだけ入れてやると、 もくもく食べた。やれやれと思たのに、また明くる日には食べんようになり、 下痢も止まらんかった。私は電話帳で近所の獣医さんを調べ、お向かいのクリ ーニング屋さんでもたしかにそこにあることを聞いて、ぱるぷんてを連れてい った。I村獣医科と書かれた医院は、二条陣屋という文化財の隣にあった。
二条陣屋とは昔のお屋敷で、家のあちこちに忍者屋敷のようなからくりが施し てある。私も引っ越す前にいっぺん見学したことがあるが、古い建築の美しさ と仕掛けのおもしろさが調和して、江戸時代の町家なのにどことなくモダンな 造りが気に入った。ここは、おすすめの観光ポイントだ。
けど、それは今はどうでもええことで、とにかくぱるぷんてを買い物籠に入れ て、くだんの獣医に行った。診察時間中というのに表は薄暗く、中も暗くて誰 もいない。診察用具も古びてどことなくホラーな雰囲気。モノクロの怪奇映画 の撮影に似合いそうな構えである。殺虫灯の紫外線だけがやけにまぶしく、時 おり「バチバチッ」と虫が昇天する音が聞こえる。ちょっと『やばい』雰囲気 の医院やった。困ったなぁと思てると、中から無愛想なおっさんがよれっとし た白衣で出てきた。ますますヤバイ。けど、帰るわけにもいかず、子犬を診察 台に載せた。
念のために持っていったぬるぬるの下痢便を見せながら経過を話すと、「この 便では調べようないんで、固まったらまた持ってきて」と言われ、無造作に注 射を1本打って黄色の粉薬をくれた。下痢の原因も教えてくれないし、下痢が 止まらず来ているのに、便が固くなってからとはなにごとぢゃ!
そう思いながら診察料を聞くと、9034円! た、高いやないけぇ!!
壁を見ると、『犬には毎年ワクチンを。0歳の年は3回』として17000円 という料金が書いてあった。目を丸くしていると、「犬は保険きかへんから、 お金かかるよ」と平然として言う。まるで貧乏人は飼うなと言わんばかり。け ど、帰りぎわにサイエンス・ダイエットの試供品をくれたので、ちょびっとだ け気を良くした。ああ、ゲンキンな私。
その夜は薬を餌に混ぜてやった。ほとんど食べへんかったんで、無理やり口に 押し込んだ。ダンナは半泣きで「今日は、ぱるぷんてと一緒に寝る」と言い、 2階の固い床にこたつ布団を敷いて毛布をかぶって寝た。私は3階で寝たが、 翌朝になるとダンナは「ぱるぷんてなぁ、わしの毛布に入って来て、腕に顔お いて寝んねん。かわいいやつやで」と顔をほころばせていた。
ああ、タンジュンなダンナ。
翌日、休みでまた三条商店街のペットショップに行ったダンナは、血相を変え て帰って来た。「かあちゃん、あこの獣医あかんて。近所で土曜の晩に交通事 故に遭った犬を連れて行った人が、『今日は診察時間を過ぎてるし、月曜に来 い』ていわれたんやて。そんでよそ連れてったら、もう手遅れやったんやて。 そいで、むちゃくちゃボるらしいで」
料金の高いのは昨日、経験済み。けど診察にも不信感があったので、ペットシ ョップのおばちゃんに教えてもろた獣医さんヘ行くことにした。その前に、車 の引っ越し手続きを済ませるために南区の陸運局に寄った。陸運局で手続きを するとき、買い物籠に入れたぱるぷんてを持っていると、事務の女の人たちが 見つけて「わぁ、かわいい!抱かせてぇ!」と、カウンター越しにぐりぐりな でてくれた。それが刺激になったのか(?)事務所を出るとほどなく、まりま りっとうんこをした。ゆるいけれど、なんとか形のあるうんこだったので、ほ っと一息。くさい臭いを深呼吸したんである。

●第9話:せめてこの犬だけでも

陸運局は京都の南、南区にある。そう、私たちがぱるぷんてをもらった京都市 動物相談所の近く。私たちは子犬の兄弟には変化がないか、寄ってみることに した。前に会った係のお兄さんが出てきて、買い物籠に入った具合の悪そうな ぱるぷんてを見て、ちょっと暗い顔をしはった。
私たちが経過を説明すると、「他の子犬は別に異常ないですが」と言って、あ の子犬のケージに連れて行ってくれた。端っこのケージには、白い雌の子犬が 1頭。すでに弟(?)はどこかにもらわれたらしい。1頭だけ残った妹(?) は寂しいのか、自分も連れて帰ってほしいのか、足をふんばって必死に鳴いて いる。元気そうでほっとしたけど、なんかかわいそうやった。
「はよ、ええとこにもろてもらいや」とつぶやき、私はまた話に戻った。
どうも調子の悪いのはぱるぷんてだけらしい。なら、伝染病じゃあない、とい うことで少しだけ「ほっ」としていると、お兄さんは「その子犬、交換します か?」と聞いてきた。あ、そうか、そういうつもりで私たちが来たと思わはっ たんか。そいで暗い顔をしはったんやな。
「とんでもない! もうこれはうちの家族ですから」
そういうと、今度はほっとした表情になった。

実は、私たちにはもうひとつ気がかりがあった。この建物には、子犬のケージ の向こうに、奥までずっと鉄格子がはめられた部屋がある。中には成犬の姿。 犬たちは人の気配に気づくと、鉄格子に駆け寄って大きな声で吠える。その声 には、番犬のように人を警戒するような響きはなかった。
この前来たときにも見たんやけど、中には雑種に混じってハスキー、ポインタ ー、ゴールデン・レトリーバー、ビーグルなどの姿が見えた。
「ハスキーが最近多いですね・・・」
係の人は無表情で説明してくれた。
「漫画に出てから、えらい増えたもんなぁ」
「こんな大きいなると、飼いきれんようになる人もおるんやろな。はじめから わかってることやのに。無責任な・・・」
薄暗い部屋の片隅にうずくまる、白い体に黒い隈取りの犬が悲しそうな瞳で私 たちを見上げる。その奥にもケージがあり、猟犬らしい犬が1頭入っていた。
「あの犬は、猟犬ですか?」
「そうです。けど飼い主が猟をやめたんで、いらなくなったからと連れてこら れたんです・・・」
「猟をやめた言うて、処分すんの? そういうヤツこそ、鉄砲で撃ったったら ええのに!」
思わず、鼻息が荒くなる。苦楽を共にしてきた『相棒』をそんな風に扱ってえ えのか?! あんたはそれで良心が痛まんのかぁっ!!!!!
「まだその飼い主はましなほうですよ。そうやって連れてくるより、無責任に 捨てる人のほうがはるかに多いんですから」
鉄格子に閉じこめられた犬のほとんどが、もともとの野犬でなく捨て犬だそう だ。車で山に連れて行き、置き去りにされた犬もいるらしい。人間不信になっ て人を避けて野良になる犬もいるし(お盆に送り火がともる、大文字山のあた りに多いらしい)、そんな目にあっても人恋しさに街に出て保護される犬があ とを絶たないという。鉄格子の中から見上げる瞳には、まだどこかで人を頼っ ている表情がある。きっと心の中で叫んでいるに違いない。
「たすけて、たすけて、たすけて・・・」と。
「1週間保護して、飼い主の連絡を待ちます。そのあとは・・・」と係の人。 やはり無表情。もう、この仕事は辛すぎて、そうなってしまうのだろう。
「安楽死、ですね・・・」
「ええ、なるべく苦痛を与えない方法で処分します」
事務的な答えの奥に、言いようのない怒りやあきらめを感じる。私たちは、そ んな犬たちを見て「たとえ1頭でも」という気になり、ぱるぷんてのお兄ちゃ んとして、そこにいたゴールデン・レトリーバーをもらおうと思った。しかし 手続きをとる間にぱるぷんてが弱り、世話がたいへんなため断念したのだ。そ のあと、ダンナはひそかに泣いていたと思う。私も、いまでもそのことが心に ずっと引っかかっている。
だからこのとき、背中にひしひしと感じる、死を目前にひかえた犬たちの視線 に「かんにん」と心のなかで手を合わせながら、せめてこのチビ犬だけは満足 な生涯を全うさせてやろうと誓ったのだ。

※これを読んでくださっている犬好きの方はそんなことはないと思いますが、 お願いですから無責任に流行や衝動で犬を飼わないでください。一度飼った ら、最後まで責任を持ってきちんと面倒を見てください。どんな犬でも、そ れが『犬』であるかぎり、必ず人の心に応え、人を心から愛する最高の仲間 になってくれるのですから。

●第10話:今どき珍しいお土産

教えてもらった獣医さんは太秦にある。太秦といえば、国宝第一号の弥勒菩薩 像がある名刹、広隆寺のすぐそばだ。春秋の観光シーズンになると、お寺の前 の三条通りに車があふれ、むちゃくちゃ混雑する。このあたりは京都でも道路 が碁盤の目に通ってないので、住民以外は抜け道と思ってうっかり足を踏み入 れると、流行遅れの迷路遊びをさせられる。けど今はオフシーズンやから、道 はすいていた。私たちは、夜の診察が始まる5時より前に到着した。
広隆寺から南へ300mほど。教えられた場所に行くと、病院は地味だが『吉 田愛犬病院』と書かれた目立つ看板があったので、すぐわかった。昨日の病院 は薄暗くて「獣医科」という愛想ない看板やったけど、ここには何より「愛」 がある! ちょっとなごんだ気分になり、ドアを押した。
時間が来て診察室に入ると、清潔で明るい。そして肝心の先生は・・・。
50歳前の、くりっとした目が印象的な人だった。人間は猿顔・犬顔・狐顔・ 狸顔に大別できるそうやけど、吉田先生は看板にたがわず犬顔だった。そして きびきびした口調で「どうしました?」と声をかけてくれた。状況を説明して 陸運局メイド?のうんこを見せると、先生はすぐにぱるぷんてのお尻に体温計 をつっこんで検温。体重を量り、採血して血液検査と検便、ものすごく手際よ く診察してくれた。看護婦は奥さんみたいで、やっぱり目がくりっと印象的で 南方系の美人(あとで東北のご出身だと聞いたが)だ。そんで、すごくにこや か。ああ、昨日の医者と全然ちゃう。やっぱ、こうでないとあかん!
結果、ぱるぷんてには寄生虫が3種類もいることがわかった。そのうちの1種 が「うわぁ、こんな虫、今どき京都市内では見かけへん虫やね。どこで生まれ たんやろ、この犬」と先生も驚くほどの珍品だったそう。先生は血液検査の結 果を見せながら子犬の唇をめくり、「子犬にはありえへんぐらい肝臓の状態が 悪い。ほら、歯茎の色も悪い。これは虫のせいです」と、たしかにどす黒い歯 茎を見せてくれた。ぱるぷんて、お前えらいお土産もたされたもんやなぁ。
体重も、もらってきた日に量ったのより200g少ない。とりあえず、今の状 態では餌を食べても消化できない、とはいえ点滴は子犬だから耐えられないだ ろうということで、すぐさま栄養注射をしてもらうことになった。
が、思わず目を見張ってしまった。浣腸かと思うくらい、ぶっとい注射器。栄 養剤は100ccほどだろうか。それを、ぱるぷんての肩のあたりにブスッ!
ダンナが抑えつけてたけど、もがいてしきりに逃げようとするぱるぷんて。み るみる肩のあたりは盛り上がり、人面瘡でも生えてきそうな感じになった。ダ ンナが手を離すと、そんな元気あったんかいな、と思うほど勢いよく身体をふ り、診察台から落ちそうになった。
この日は駆虫薬ももらい、全部でお会計は7400円。これだけしてもらって 昨日に比べたら安い!ということで、改めてI村先生がどんだけボッてるか再 確認したんである。
翌日から、ぱるぷんてを連れて注射に通った。毎日太い注射を打たれるんで、 ぱるぷんてはすっかり吉田先生が嫌いになってしまった。病院が近づくだけで ブルブルふるえる。そして注射を打たれたあとも、激しく身体をゆさぶった。

バックナンバーvol.2へ
洛中いぬ道楽サンプルページにもどる
別館トップページに戻る