「玉葱工房」特製アロハシャツ誕生秘話

まずは「玉葱工房」特製アロハの特色から

エラリー・チュン(一部ではチャンの表記もありますが…)氏をいたむ
2000年6月「朝日新聞」夕刊惜別欄

この方がいなければ、アロハと言うカテゴリーのシャツはありませんでした。以下は本文よりの抜粋です。

1931年、米国東部の大学を卒業しホノルルで父が営む雑貨店を継いだ。世界恐慌により経営は悪化、「何とかしなければ」と考えていた矢先、サトウキビ畑を耕す日本人たちが当時、古くなった着物を再利用して着ていたシャツの絵柄が頭に浮かんだ。「あの鮮やかな模様をパイナップル、ヤシの木、フラダンサーといった南国風にしたらどうだろう」
はじめは2~3ダースだけ作った明るい柄の半袖シャツは、あっと言う間にはけ、うわさを聞いた客が殺到した。やがてビング・クロスビー、フランク・シナトラといった銀幕のスターが愛用、ワイキキの観光客にも人気を博し、船が着くたびに品不足になった。「アロハシャツ」という名前を36年に商標登録した頃には、ハワイのあちこちで類似品が出始めていた。(以下略)

こうして「アロハシャツ」と呼ばれるカテゴリーのファッションが生まれたわけですが、たまねぎ工房が目指すのは、エラリー・チュン氏を刺激した日系移民の、着物を利用したアロハシャツなのです。
日系移民はなぜ着物をシャツに仕立て直したのか?
それは貧しい生活ゆえの、必要から生まれた知恵。資源のない日本では、明治から昭和にかけて、国を揚げて海外への移民が送りだされました。
新天地への船出に際し、友人知人や親兄弟、親類縁者はなにがしかの餞別を渡します。戦乱に明け暮れた欧米社会ならば、換金性と携帯性に優れた貴金属宝石類でしょうが、上り調子とは言え貧しい日本では着物が精一杯の餞別でした。そう、ナイロン素材が開発されるまで、絹織物は日本を代表する輸出産品だったのです。
夢の新天地、常夏の国ハワイでの暮らしは、決して楽なものではありませんでした。「故郷へ錦を飾るため」爪に灯をともすような暮らしに耐え、厳しい労働に歯を食いしばって頑張った日本人。しかし着物は、猛暑のなかで労働するにはあまりにも不向き。袖を通す機会を失った着物は器用な日本人の手で、アメリカからもたらされた開襟の作業着風にリフォームされました。400年前に宮崎友禅斎によって確立されたきらびやかな友禅染の着物が、アロハシャツに生まれ変わった瞬間です。



左が「たまねぎ」の99年モデル。右は一般的なアロハ。「たまねぎ」アロハはひとシーズン着倒したけど、まったく型くずれ・色落ちしていません。これが化繊の強みですね。ちなみに東レのスポーツウエアなどにも使われている素材だけに吸湿性もありさらさら快適。シャリ感のある肌触りも清涼感があってgoodです。
右の一般的なアロハの方はだいぶヨレヨレになっていますが、これもハワイ州成立以前の「メイド・イン・ハワイ」物です。

両方の背中にご注目ください。「たまねぎアロハ」は真ん中ですっぱり柄が切れているのに、右は柄が分割されていません。これが「たまねぎアロハ」に和服の反物を使っている証拠。洋反を使った普通のシャツの仕立て方では右が正解ですが、移民世代レプリカを製造するにあたっては、古式ゆかしい小幅が主流になります。 洋服地の幅が90~120cmあるのに対して、和服の反物は幅わずか36~7cm。シャツ本来の仕立て方をしようにも、生地幅が足りません。移民第一世代の“オリジナル”アロハは、当然2枚取りになっていたはずです。
友禅技法で染めたものでも、大漁旗とか幟、法被などの場合は広幅が主体となります。また小幅として流通しているものでも、近年では生産性向上の観点から先に広幅で染色し、後ほど小幅に絶ちいれする場合も増えているようですが、たまねぎアロハの主流は「背中2枚どり」ですね。

右胸ポケット部分にご注目。ボディ部分とポケット部分で、柄があっていません。これは半ば確信犯ですね。
近年のアロハではポケット部分でドンぴしゃ柄があったものもありますが、ビンテージ物でさえ本来は柄を合わせないのが筋です。
成人式でおなじみの振り袖や、お母さんが結婚式に呼ばれて袖を通す留袖など、見頃や袖の縫い目で柄が続いていますよね。しかしそれをリフォームした場合、ポケット部分の柄を合わせることは不可能です。着物の場合縫い代部分の柄を重複させて、柄に連続性を持たせていますが、そのわずかばかりの縫い代では、ポケット部分に必要な用尺をとるには、到底生地幅が足りません。同じ柄が続く小紋だとか、紬、絣の類であれば理論上柄あわせも可能ですが、確信犯故に今後もポケットで柄を合わせるつもりは毛頭ありません。



和装業界のアルバイト期間を含め、ほぼ10年間をファッション業界で過ごしていたとはいえ、所詮は営業・販売職。未だかつて「ものづくり」の経験皆無のP助が、アロハシャツ製作を思い立ち、実行に移した実体験をレポートします。

第1章 動機

基本的にはファッションには無頓着です。一応和装・洋装・服飾雑貨業界に10年近く籍を置いていたが、所詮は販売・営業職。ゆえあって「たまねぎ工房」ぽん社長に拾われ、いつの間にやら旦那件丁稚として文章書きの仕事をしているが、基本的にものづくりに携わったことがない(実家の百姓は別だが)。
人と同じ恰好をするのは好まない。もともとネクタイ嫌いの開襟シャツ好き。おまけに寒い山間部出身だから、トロピカルな雰囲気に強いあこがれを抱いている。故にアロハシャツが好きになったのか。和柄と出会い、ルーツを調べてゆくうちに「究極の和柄アロハ」を造りたい欲求が、頭をもたげてくる。

第2章 反物調達

生地が入手できなければ、究極の和柄アロハは無理。八方手を尽くして探してみるものの、なにせ悪名高い「一見さんお断り」の伝統。室町問屋の敷居は高い。
「捨てる神あれば拾う神あり」あきらめかけていたときに、金襴端切れ屋さん酒井さんと知り合う。「浴衣地ならあるよ」しかし、端切れ屋さんだけに、まとまった長さの生地がない…。それ以前に何mあれば1着のアロハが出来るのかさえも見当が付かない。「4~5mあれば、1着分とれるよ」酒井さんにアドバイスされて、とりあえず1着分を購入。

第3章 パターン

生地が入手でjきたので、知り合いの手づくり作家に「縫って」と頼む。「ヤダめんどくさい」「ポリエステルは難しい」等々のご返事。人望がないのだろうか…。仕方が無いのでiインターネットで検索し、電話帳をめくることしばし。意を決して電話した先が色好い返事をくれる。そこが田中信(株)だった。
「で、パターンは?」「なにそれ?」「裁断する型紙」「そんなもんいるの?」「……」先方は絶句。
アトリエ・チェックポイントの山田さんを紹介してもらい、早速相談。てきぱきとした対応で型紙は完成。早速田中信(株)でサンプルを縫製してもらう。

第4章 縫製

「できたよ」サンプル縫製代金5000円を握りしめ、山科区にある田中信(株)へ。すばらしいできあがりに関心。数日後の「天神さんの市」で値札もつけずにディスプレイしておくと、次々にお客さんが問い合わせしてくる。「サンプル品なので販売できません」と断りながらマーケティングリサーチ。「これは商売になるかも」自信がみなぎってくる。

第5章 軌道修正

山田さんに型紙の丈を直してもらう。それまでは最悪の場合、自分で着ることを念頭に置いていたためメンズLのみ。あわててMサイズの型紙を発注する。商売になるなら、色柄の種類や・生地の調達量も増やさなくてはならない。少ない稼ぎに「かあちゃん銀行」からの特別融資をくわえ、酒井のおばちゃんのもとへと走る。

第6章 難問いろいろ

酒井のおばちゃんに『ブランド浴衣端切れ』を目方で卸してもらい、できあがったばかりのML2種類の型紙と一緒に田中信(株)へ。「ほんまに造るの?」「ほんまに造るの!」交渉の末ボタンは先方がサービスしてくれることに。
「工場が暇なときに縫う」「連休商戦あけの金があるときに支払う」双方の意見がまとまって、5月半ばには第一弾となる100ロットのオリジナルアロハがあがってきた。
「裁断大変やったで」「なんで?」「小幅やから用尺分(5~6m)ほどの裁断台が必要になる。おまけに長さがバラバラ。苦労したで」 苦労のかいがあって、仕上がりは大満足。自分用を数着隠匿。早速15日「手づくり市」に出店するも空振り。気を取り直し、21日の「弘法さんの市」に出店。近年まれにみる大ヒットをとばす。単価が高いので数はさばけないが、ツボにはまると大きな数字が見込める。25日の「天神さん」に期待するも朝から大雨。先行きは暗いのか?

第7章 web展開へ

1年目は合計2ロット生産し、当たりはずれ・好不調の大波に揉まれはしたが、なかなか出足としては好調だった。秋以降はweb展開を見据えてHP作成に着手。同時にフリマで知り合った中一商店の親父さんや、古川町商店街の穴場西田商店で洗える着物を調達。バリエーション拡大を図る。なれぬHP作成に悩み、停電に寄るダメージでデータ消滅の危機を体験。ドットコム取得を経て3月にはweb持ちとなった。完全な商用利用には気が引けるので、「雑種犬サイト」色を全面に打ち出し、昨年度生産分をヤフーオークションに出店した。2シーズン目の生産量も合計2ロット分。つたないHPの割には「100アクセスに1件」の、まあ商用サイトとしては成功の部類にはいるスコアを達成した(その割にはアクセスが増えないが…)。
露天では地方の穴場ねらいをやめ、夏期は関西圏のメジャー会場制覇をもくろむも、ことごとく惨敗。百万遍「手づくり市」、東寺「弘法さんの市」、北野天満宮「天神さんの市」だけが、昨年同様のスコアを樹立したのみ。前期以上に好不調の波を実感することになる。

第8章 テキスタイル

商用サイトに踏み切れなかった最大の理由は、テキスタイルにあった。端切れなどの残反であるとか、特売品の反物から仕立てることを余儀なくされたことが、今ひとつ踏ん切りのつかない原因である。フリマで知り合った人から室町の問屋を紹介してもらい、既存の型紙から反物を染めてみた。仕上がりは上々であったが、高い買い物についた。一人の職人がすべての行程を行う加賀友禅とは違い、京友禅は手書きの場合下絵、糊置き、色さし、引き染め、金彩、整理…と、型染めでも、下絵、型紙、染色、整理と、その作業工程は分断されている。それらの全行程を管理するプロデューサ役が悉皆(しっかい)屋である。ぎりぎりまでコストを削減しなければ、本当に道楽になってしまうアロハプロジェクト。まあ、高い授業料ではあったが、それはそれで出来はよいので、近く第一弾としてリリースする予定。

とあるつてから野村染工さんのことを聞き、URLを打ち込んで早速アクセス。悉皆屋のじい様とは違い、クイックレスポンスでメールが帰ってくる。「これこれこういった事情で友禅柄のテキスタイルを」「ならば平沢染工さんがおすすめ」こうして平沢さんとのつきあいが始まる(野村さんありがとう)。